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トップ  >  日産スカイラインの歴史

初代スカイライン「ALSI-1」(1957年)

初代スカイライン
プリンススカイラインは、1957年4月24日、日比谷宝塚劇場で発表されました。
直列4気筒OHV(GA30型)エンジンは、最高出力60ps、最高速125km/hで1.5リッタークラスとしては世界最高性能を誇りました。(後に1.9リッターまで拡大)
サスペンションは、前輪にダブルウィッシュボーン、後輪にド・ディオン式を採用し、舗装率が低い時代の乗り心地や設置性を向上させました。
大学卒初任給は約6,000円という時代に、ALSI-1 DXの価格は120万円で発売されました。これは現在(2007年)の4,000万円に相当します。
総販売台数は33,759台でした。


スカイラインスポーツ(1960年)

スカイライン・スポーツ
ダッコちゃん人形が発売になり、大ブームを巻き起こした1960年、スカイライン・スポーツが発表されました。
ジョバンニミケロッティによるデザインで、第42回トリノ国際自動車ショーに出品。
直列4気筒1.9リッター(GB4型)エンジンは、最高出力94ps、最高速150km/hを誇りました。
総生産台数は60台(クーペ35台、コンバーチブル25台)にとどまりました。


2代目スカイライン「S50」(1963年)

プリンススカイライン1500
プリンススカイライン1500は、2代目スカイラインとして1963年に発表されました。
プリンス自動車の真骨頂である「乗る人の為、人間中心の車作り」を基本とし、純オーナーカーとして誕生。
キャッチコピーは「理想のファミリーカー」でした。
当時の販売価格は73万円、総販売台数は114,238台という爆発的なヒットを遂げました。


第1回日本グランプリでの屈辱(1963年)

プリンススカイラインも、元々多くの乗用車同様、レースとは無縁で誕生した車でした。
しかし、1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回に本グランプリで、プリンスは市販車レベル同等仕様で惨敗。これは、自工会の「チューニングしないでレースをする」という申し合わせを正直に守ったプリンス自動車が、チューニングしてきた他社の車両に太刀打ちできなかったというものでした。
このレースでの惨敗は当然「技術のプリンスと言われているのにこのザマは何だ!」という叱責となり、「1年間時間をください!」と開発陣は第2回日本グランプリに向け、開発をスタートしたのです。 プリンス自動車は、スカイラインのホイールベースを200mm延長しグロリア用直6エンジンを搭載。公認取得のためわずか3ヶ月で100台を生産しました。
これが「スカイラインGT」の誕生秘話なのです。

「レース神話」誕生(1964年)

東京オリンピックが開催された1964年、スカイラインの「レース神話」が誕生しました。
5月3日、富士スピードウェイで行われた第2回日本グランプリで、スカイラインGTがポルシェ904GTSを抜いて観客の前に現れ、観客は総立ち!
結果は2位でしたが、この時スカイラインのレース神話が誕生したのです。

羊の皮を着た狼「2000GT(S54B)」(1965年)

スカイライン2000GT
グロリアの2.0リッター直列6気筒SOHC(G7型)エンジンを搭載、WEBER製3キャブレターを装備し、最高出力125ps、最高速180km/h以上という高性能車が誕生。スカイライン2000GTです。
ファミリーセダンの実用性を備えながら高性能を誇る、「羊の皮を着た狼」という表現が使われました。



3代目スカイライン「C10」(1968年)

スカイライン2000GT
1966年にプリンス自動車は日産自動車と合併しました。スカイライン1500は、合併後初の「日産スカイライン」として1968年に発表されました。
ファミリーユースとスポーツを両立させたC10型スカイラインは「ハコスカ」という名前で現在でも親しまれています。
1.5リッター直列4気筒エンジンは88psを誇り、このクラスの自動車として初めてディスクブレーキが標準化されました。
当初は4ドアセダンだけだったのですが、後に2ドアハードトップ、そしてGT-Rが追加されました。
キャッチコピーは「ダイナミックファミリーセダン」、「愛のスカイライン」でした。
4ドアのスカイライン2000GTの当時の価格は86万円でした。
総販売台数は310,447台(GT-Rの1,945台を含む)でした。

初代GT-R登場「PGC10」(1969年)

スカイライン2000GT-R
アポロ11号が月面着陸に成功した1969年、S54B型スカイラインの血統を引き継ぐ初代GT-Rが登場しました。
プリンスR380レースカーのエンジンをディチューンしたS20型エンジンを搭載し、最高出力160ps/7,000rpm、最高速度200km/h、ゼロヨン加速は16.1秒と、飛びぬけた性能を誇りました。



伝説の52勝(うち49連勝)

スカイラインHT2000GT-R
1969年5月3日から2年10ヶ月間で、レース50勝という不滅の金字塔を打ち立てました。(その後2勝を追加し、公式には52勝となっています。)
1970年に4ドア(PGC10)から2ドアハードトップ化(KPGC10)を行い、ホイールベースが2,640mmから2,570mmへと変更。戦闘力がさらにアップしました。



4代目スカイライン「GC110」(1972年)

スカイライン2000GT
あさま山荘事件があった1972年、4代目スカイラインが発表されました。
バズの「愛と風のように」のレコードが30万枚という異例のヒット。スポーティー&ファミリーカーという性格を先代に続き反映し、「ケンとメリー」のCMで若者から年配まで幅広いファンをつかみました。
スカイライン伝統といわれる「丸目4灯」は、このGC110型で初めて採用されています。
2000GT-Xの当時の販売価格は98.5万円でした。
5年間で670,562台を販売し、これは歴代最多販売台数となっています。

闘わざる2代目GT-R「KPGC110」(1973年)

スカイラインHT2000GT-R
1973年1月、2代目GT-Rが登場しました。
S20型エンジン、4輪オーバーフェンダー、4輪ディスクブレーキを装備し、ハコスカGT-Rのレース神話を引き継ぐものとして、東京モーターショーではレースカーのプロトタイプも展示されました。
しかし、日産ワークスチームはレースからの撤退を発表、排気ガス規制により、4ヶ月間で197台のみが生産されました。(販売は195台)


5代目「C210」(1977年)

スカイライン2000GT
王貞治が世界記録となる756号ホームランを達成した1977年、日本生まれの日本の名車を意味する「スカイラインジャパン」が発表されました。
Mr.&Ms.のTシャツは1978年の夏だけで57万着が売れる大ヒットとなりました。
「名ばかりのGT」という汚名を返上すべく、1980年のマイナーチェンジで夢のスカGターボが登場。2リッターL20ETエンジンは145psを絞り出しました。このスカGターボがその後のターボカーブームの火付け役となったのです。テレビドラマ「西部警察」にスカイラインが初登場したのもこの年でした。
2000GTの当時の価格は125.9万円、総販売台数は539,727台でした。

6代目「R30」(1981年)

スカイライン2000GT-EX
山口百恵が引退した翌年、1981年に「新しい愛のスカイライン」「ニューマンスカイライン」とよばれた6代目スカイラインが発表されました。
CMにポールニューマンを起用したことから、ニューマンスカイラインというニックネームが付きました。
世界初のアジャスタブルショックアブソーバーを採用、スカイライン史上初の5ドアハッチバックが設定されました。
ターボGT-EXの当時の販売価格は189.7万円、総販売台数は406,432台でした。

「2000RS」誕生(1981年)

スカイライン2000RS
S20エンジンから8年。2度と帰ってこないと言われた1シリンダー4バルブDOHC(S53年排ガス規制後初)が大きな進歩とともに甦りました。
FJ20Eエンジンは最高出力150psを誇りました。
この2000RSの当時の販売価格は217.6万円でした。





史上最強のスカイライン(1983年)

スカイライン2000RS-TURBO
東京ディズニーランドがオープンした1983年、直列4気筒FJ20ETエンジンを搭載したターボRSが発表されました。
「日本ではただ一台、量産車としては世界初か。4バルブDOHCターボの劇的な出会いが、あのGT-Rを超える車を生んだ。そのスペックは、どれを撮ってもスカイライン史上最強」とカタログで謳われました。
このエンジンは最高出力190ps、最大トルク23.0kgmを誇り、メーカー各社のパワー戦争が勃発することになりました。
扁平率60タイヤを採用し、タイヤサイズは195/60R15でした。
このターボRSの当時の価格は235.6万円でした。

史上最強のスカイラインその2(1984年)

スカイライン2000RS-TURBO X
ロサンゼルスオリンピックが開催された1984年、そして「史上最強のスカイライン」が発表された翌年、2000RSインタークーラー「ターボC」が発表されました。インタークーラー付ターボエンジンFJ20ETは、最高出力205ps、最大トルク25.0kgmを発揮。
短期間に「最強」の連発で、お客様から批判を浴びましたが、「鉄仮面」の愛称で今でも親しまれている車です。
ターボRS-Xの当時の販売価格は269.1万円でした。

7代目スカイライン「R31」(1985年)

スカイラインGT Passageツインカム24V
時代と環境への調和を目指し、「都市工学スカイライン」というニックネームが付いた7代目スカイラインは1985年に発表されました。
当時流行のハイソカー路線の「ソフトマシーン」で、C10以来のL20型エンジンからRB型エンジンへ進化しました。
RB20DETエンジンは、最高出力21ps、最大トルク25.0kgmを誇りました。
世界初の4輪操舵(4WS)「HICAS(ハイキャス)」を装備し、3WAYアジャスタブルショックアブソーバーも搭載していました。 GTパワージュツインカムターボの当時の価格は301.8万円、総販売台数は309,716台でした。

7代目「R31」クーペ(1986年)

スカイラインGTS-R
新開発のセラミックターボやGTオートスポイラーなどの最新技術を搭載したのがR31型スカイラインクーペでした。(GTオートスポイラーはマイナーチェンジでセダンにも採用されました。)
グループAレースのホモロゲーションモデル「GTS-R」も全国限定800台で投入されました。
ステンレスエキマニやストラットタワーバーなどの専用装備も満載で、GTS-RのRB20DET-Rエンジンは最高出力210ps(net)、最大トルク25.0kgm(net)を誇りました。
GTS-Rの当時の販売価格は340万円でした。

8代目スカイライン「R32」(1989年)

スカイラインGTS-t TypeM
昭和天皇の崩御により平成元年となり、また、横浜ベイブリッジが開通した1989年、8代目スカイラインが発表されました。
本格的なスポーツセダンをめざし、「超感覚スカイライン」というニックネームがつけれました。
運動性能を重視し、スタイリングはシェイプアップし、4輪マルチリンクサスペンションやアルミキャリパー対向ピストンブレーキなど新規ユニットも採用されました。HICASはSUPER HICASに進化し、タイヤサイズは205/55/16という当時としては大径のタイヤを装備しました。
RB20DETエンジンは最高出力215ps、最大トルク27.0kgmでした。 GTS-t TypeMの当時の価格は238.5万円、総販売台数は296,087台(GT-Rの43,661台を含む)でした。

16年ぶりのGT-R復活「BNR32」(1989年)

スカイラインGT-R
1989年8月、3代目新生GT-Rが16年ぶりに復活しました。
JTC(グループA)に勝つために、他車を圧倒する高性能ユニットを搭載。2.6リッター直列6気筒ツインターボRB26DETTエンジン、SUPER HICAS、ATTESA-ETSが採用されました。





「レース神話」復活(BNR32)

1990年3月、JTC(グループA)でデビューし、いきなり1-2フィニッシュを達成しました。その後グループA29戦29勝の「不敗神話」を残しました。また、N1耐久シリーズでは通算29戦28勝を遂げました。
BNR32GT-Rの活躍の舞台は国内から世界へ移り、1990年マカオレース、1991年スパ24時間レースなどでも優勝しました。

9代目スカイライン「R33」(1993年)

スカイラインGTS25t TypeM
日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」が開幕した1993年、9台目スカイラインが発表されました。
「日本のグランドツーリングカー」というキャッチコピーで、グランドツーリングカーとしての居住性と走りを表現していました。
ターボラグのないリニアチャージコンセプトで、RB25DETエンジンは最高出力250ps、最大トルク30.0kgmを達成。電動スーパーHICAS、アクティブLSDも装備しました。
主力ユニットがRB25型エンジンとなったことで、全車3ナンバー化となりました。
GTS25t TypeMの当時の価格は289.8万円、総販売台数は217,133台(GT-Rの16,435台を含む)でした。

正常進化したGT-R「BCNR33」(1995年)

スカイラインGT-R
「究極のドライビングプレジャー」をコンセプトに1995年1月、4代目GT-Rが発表されました。CMでは「マイナス21秒ロマン」と、ニュルブルクリンクでのラップタイムをBNR32GT-Rから21秒短縮したことを謳いました。
圧倒的なパフォーマンスで高評価を得た3代目GT-R(BNR32)をさらに正常進化させ、最高出力280ps、最大トルク37.5kgmを誇りました。
イギリスにも少数ながら正規輸出され、当地での販売価格は日本の倍でした。

続く「レース神話」(BCNR33)

GT-Rの活躍の舞台はグループAから、N1耐久およびGTカーレース(旧全日本選手権)へ移りました。
N1耐久レースにおいては、初代GT-Rと同様に「伝説の50勝」を達成しました。
また、ル・マン24時間レースに1995年から1996年と2年間参戦しました。

10代目スカイライン「R34」(1998年)

スカイライン25GT-Xターボ
1998年、10代目となるスカイラインが発表されました。
「BODYは力だ!」「ドライビングボディ」がキャッチコピーで、ボディ剛性が著しい進化を遂げました。
開発キーワードはR32以降一貫した目標で「Theベストドライビングプレジャー」でした。
さらに、スカイラインらしさ『「ハコ」で速い!』を徹底追求したモデルとなりました。
NEOストレート6エンジンは最高出力280ps、最大トルク35.0kgmを誇り、デュアルマチックM-Atx、17インチタイヤ、高剛性ボディを装備しました。
25GTの当時の販売価格は239.5万円、総販売台数は64,623台(GT-Rの11,344台を含む)でした。

超進化GT-R「BNR34」(1999年)

スカイラインGT-R
1991年1月、5代目(再生3代目)GT-Rが誕生しました。
CMコピーは「人に翼を」でした。
最終仕様Nurは1000台限定で2002年1月24日に発表即日完売となりました。






11代目スカイライン「V35」(2001年)

スカイライン300GT
2001年6月「21世紀の理想のプレミアムスポーツセダン」というキャッチコピーで11代目スカイラインが発表されました。
スカイライン初のV型6気筒エンジン(3.0L 260ps/33.0kgm)を搭載し、型式もV35となりました。
発表時には伝統の丸目4灯テールライトを廃止したのですが、マイナーチェンジで復活となりました。
「すべてを人を中心に」の発想から「FMパッケージ」を採用しました。
CMコピーは「ONLY THE SKYLINE」でした。
250GTの当時の販売価格は280万円でした。

11代目スカイライン「V35」クーペ(2003年)

スカイライン350GTクーペ
2003年2月、V35スカイラインに2ドアクーペが追加されました。
開発コンセプトは「Stylish & performance」で、全車VQ35エンジン(280ps/37.0kgm)を搭載しました。
CMコピーは「憧れは、時を越える」でした。
350GTの当時の販売価格は325万円でした。




北米でのV35スカイライン(G35)の成功

INFINITI G35
2002年3月から、スカイライン(V35)はINFINITI G35として発売されました。
2006年10月までに180,470台(セダンのみ)を販売し、INFINITIブランドを牽引する主力車種となりました。
また、北米有名誌でも数々の賞を受賞し、BMW 3シリーズと渡り合う車として高評価を得ました。
□Motor Trend (US) "2003 Car of the year"
□Car and Driver (US) "2003 10 Best Cars"

12代目スカイライン「V36」(2006年)

スカイラインV36
2006年11月、12代目スカイラインが発表されました。
新世代FR-Lプラットフォームは、先代のV35を大幅に上回る剛性を確保。快適装備はそのままに、フロントサスペンションメンバーなどのアルミ化でボディ重量の増加を最低限にとどめる。エンジンはVQ発展型のV6でで2.5Lと3.5Lを用意しています。世界初の4輪アクティブステアリングをオプション設定しています。


スカイラインクーペ「V36」(2007年)

スカイラインV36クーペ
スカイライン生誕50周年の2007年、スカイラインクーペが発表されました。イチロー選手や俳優の渡辺謙をCMに起用し、北米市場を強く意識した新型スカイラインクーペの姿と重ね合わせて話題になりました。
環境へのパフォーマンスも向上させるべく、新開発3.7LエンジンはVVEL(バルブ作動角・リフト量連続可変システム)を採用しています。前後のタイヤ切れ角を調整し安定や運動性能に寄与する、日産独自技術の4WAS(4輪アクティブステア)をスポーツグレードに標準装備しています。
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